2022年6月4日土曜日

小判と真珠 (2)

 前回のつづき。

結果からいうと、このバッグの査定額は
2000円であった。

「え?これ・・・ゴミじゃないの?」と
出品した本人が一番驚いてしまった。
だってその前に、100万単位の着物が
混じってたのにもかかわらず、16点で
2800円の買取額を宣告されていたのに、
こちらのボロボロ劣化バッグは
1点で2000円だったからだ。

「世界的に有名なブランドものは、
どんなに古くても劣化していても、買取は可能」
「特に有名ブランドの時計はたいていが買取可能
(廃盤になっても修理のために、中の細かい部品には
しっかり需要がある為」
「ロレックスに限っていえば、アンティークだと
購入時の価格を上回るものもある
(世界中にコレクターがいる為)」
「素人目にはガラクタでしかなくても、
専門業者がお宝と判定することは珍しくない」

業者はこれらの点を強調していた。
引越しの際の断捨離や、リフォームの際の
大荷物整理の時には、一応、念のため、
専門業者を呼ぶことをおすすめする、とも
言っていた。(査定はタダだし、強引に
買取をすすめないのが基本ルールらしい)

ちなみに、そのボロボロ劣化べとべとバッグ、
どこに需要があるのか尋ねてみると
「主に中国の最近の富裕層ですね」
という回答であった。

「え。富裕層ってお金持ってるじゃん、なんで
最新のでなく、こんな古いのを買うわけ?」と
疑問に思ったので詳しくきいてみると、
確かにお金ならあるが、成り上がりと思われて、
馬鹿にされないために、わざわざ
使い込んだ感のあるものを求めるのだそう。

「ちょっとお金持ったもんだから、ブランド品
買いまくっているわけね、これだから
にわか富裕層というのはわかりやすくていいわ、
おほほほほ」と馬鹿にされたくないので
「私、昔からブランド品使ってますけど?
だから最新のではなく、こんな使い込んだバッグ
ですけど、何か?」的に、見下されるのを
防ぐための小道具として、わざわざこういう
古いものをお買い求めになる傾向にあるのだそうだ。

なんか・・・独特なマウンティングマウンテン、
複雑すぎて、よくわからんなー。
そんなことのために、中に入れた財布やスマホが
べったべたになるバッグを使うより、私なら
最新モデル買うけど。でもまあ、いろいろと
根深い背景や理由等々が、おありなんだろうよ。

というわけで、はじめての「出張買取」から
学んだ教訓は、「お宝は、どこに眠っているか
わからない。」である。断捨離で出た荷物を
燃えるごみの日に出す前に、業者に査定して
もらうのも、一考かもしれない。
もしかしたら、小判🐱やら真珠🐷やらが
混じっているかもしれなくもないのだ。
信じるか信じないかは、
アナタ次第デス。😈

2022年6月3日金曜日

小判と真珠 (1)

引越しをしたときに
着物類を買い取ってもらう目的で
ネットで探した専門業者に連絡して
「出張買取」というものを予約してみた。

業者が自宅に来て、その場でブツをみて
査定してもらうシステムだ。着物や帯というのは
どんなに高いものでも、鑑定書がないと
二束三文でしか引き取ってもらえない。
たとえばブランドの時計でも、箱がないと
その値段がぐっと下がってしまうのと同じだ。
まあ、着物にも鑑定書のようなものがあるというのを
私もその時はじめて知ったのだがな。

で、はじめての「出張買取」。
1時間以上かけて査定してもらった結果、
半分は買い取ってもらえたが、あとの半分は
引き取れないということであった。中には
100万単位のお着物もあったのだが、
結局、着物と帯、合わせて16点の査定額は
2800円であった。😭

業者によると、こうしたものはたとえば
練習着として販売したり、または、
時代劇の撮影所がまとめて買い取ったりする
ということであった。日本国内にはそれほど
需要がないため、販売ルートは多くない。
それも二束三文になる大きな理由だ。

色がたくさん使ってある派手めの着物や帯は
海外に流れていくそうだ。そういえば、海外版の
VogueとかHarpars Bazzarとか見ると、有名人の
お宅の大きなガラステーブルの上に、
派手な帯がだらーんとディスプレイされているのを
見たことがある気がする。

日本人のわびさびの感覚は海外の人々には
意味がないので、単純に綺麗な色が使ってあるか、
インテリアとして映えるかどうかで
人気の度合いが決まるのだそうだ。

「出張買取」の目的であった着物や帯類は
その程度の査定額で、まあ、ネット検索をすでに
いろいろしていたせいで、相場がわかっていたので
とくに驚きはしなかった。だが、「出張」に来た
その業者はブランド品も買い取るという。
いい機会だからと、文字通り、「タンスの肥やし」
と化していたブランドバッグを
査定対象になるかどうか、みてもらった。

その皮バッグは20年以上前に欧州で購入したもので
正規品としてそのブランドの店で購入したものだったが、
皮がくたびれて、内側も劣化してべとべとしているので
何も入れることができず、使えないものでありながら
さりとて腐ってもブランド品、燃えるゴミに出すのは
しのびなくて、ずっと持っていたものだった。

そして、査定結果はというと・・・
・・・この続きはまた明日ということで。

2022年6月2日木曜日

井の中の蛙

今現在住んでいるところは
どちらかというと下町要素が強い。
戸建てがひしめき合って建ち並んでいるので
外での立ち話や車の音、隣の家々の音は
家の中にいるとかなりクリアに
聞こえてきてしまう。なので最初のうちは
びっくりしたが(自分ちの電話だと思ったら、
隣の家の固定電話の音で、思わず苦笑)
今は、まあ、あまり気にしないようにしている。

以前住んでいたところは、住宅街ではあったが
まったく四輪車両が入って来ない場所だったので
車の騒音に悩まされる事はなかった。
ただ、隣に住んでいたクソガキどもの騒音と
その大馬鹿保護者が夜更かしをしていたせいで
毎晩午前2時くらいまでは安眠できなかったので
それに比べれば、まあマシではある。

でも越してきて一番驚いたのは
人々のマナーの良さかもしれない。
以前住んでいたところには大きなスーパーが
いくつもあって、毎日、買い物に行っていたが、
たとえば売り場でカートが他人にぶつかっても
わりと平気な顔で素通りする人が多かった。

瞬間的に「あ、すいません!」と口にする人は
そう多くはなかった。それどころか
「仕方ないじゃん、売り場狭いし、混んでるのに
ゆっくり立ち止まって買い物してるほうが
悪いじゃん」的な空気が漂っていた。

でも今は、たとえば売り場の通路が狭くて
通れないなーと思うと、すっと相手が
譲ってくれたりする。逆にこちらが譲ったり
すると「あ、すみませんねー」と
頭を下げてくれたりする。

これって普通のマナーだけれど、
私が以前住んでいたところでは
こういうことがあまり守られていなかった。
こちらに引っ越してきて生活してみて
自分が実は、どれだけ荒んだ環境に
身を置いていたかがよくわかった次第。

大きなスーパーがいっこもなくて
買い物には不自由してるし、オサレな
お店も全然ないし、夕方6時すぎると近所の
商店街には歩く人の影がまるっきり無くなり
「ここほんとに東京のど真ん中か?ほとんど
鄙びた地方村レベルなんですけどっ?!」と
そのひとけのなさに日々、恐れおののいて
いるのだが、でもそういうのんびりというか、
ある意味、都会っぽくない環境であるがゆえ、
人々はギスギスせずに
生活できているのかもしれぬ。

よくよく考えたら、ほとんど土地勘のない場所に
引っ越すのは今回がはじめてで(海外は除く)
生まれ育った場所に近い、馴染みのある
圏内のみで、いつも引っ越ししていたので、
こういう経験はしたことがなかった。

世の中は自分が思っているよりも
ずっとずっと広いのかもしれぬということに
改めて思い至る、今日この頃の私なのであった。

2022年6月1日水曜日

大人の階段なのだ


ブログをお引越しさせたはいいが、
レイアウトだのテーマだのが
よくわからない。
昔だったら、わりと夢中になって
わからないなりに細かい設定まで
試行錯誤を繰り返したけれど
いまはひたすら「面倒くさい」。

まあ、忘備録代わりに使うだけのブログなので
それほどこだわらなくてもいいのだけれど
でもなんだか、肉体的な衰えを感じるのは
すでに慣れっこになってしまったが、精神的にも
やはり衰えているのだわーと、こういう
新しいことにトライするたび、
痛感する今日この頃。

でもまあ、「ワクワク」が消えていくってことは
それだけ「落ち着き」が出てきた、ってことで
「私もいよいよ大人になってきたわけね」と
(この場合、実年齢がいくつだとかはガン無視)
都合よく解釈することにしている。
何事も、「ものは考えよう」なのである。