2024年6月16日日曜日

はじめての空くじ

 先日は巳の日で一粒万倍日であったので、弁財天様の祀られている神社に参拝に行った。お参りをすませた後、ふとおみくじを引いてみようかと思い立ち、数字の書かれた棒が入っている六角形の箱をぶんぶん振って、細長い棒を一本取りだした。そして同じ番号の書いてある引き出しを開けて、おみくじを取り出そうとしたら・・・え。ない。入ってない。空っぽなんである。

いろんな神社仏閣でおみくじを引いてきたが、おみくじそのものが入ってないというのははじめてだった。すぐに社務所に行って状況を説明すると、「補充します」とのことだった。補充・・・。でも社務所の受付にいた見るからにアルバイトの男女は、持ち場を離れられないのか、どうしたらいいのかわからないのか、さっさと動いてくれる気配はない。私もおみくじが入っていなかったのでもやもやした気持ちになり、「100円返金してもらって、また改めて引きに来ます。」と100円を返してもらい、神社をあとにした。あれはなんだったんだろうか。

調べたら「神様が渡したいメッセージがおみくじの中になかった」という説があった。もともとおみくじは、お願いごとに対しての指針を示すものだという話はきいたことがあったので、そういうものかなと思ったが、納得はしていない。それは多分、神社ならおみくじの「補充」はちゃんとしておいてくれよという不満からきているのだと思う。だって縁起担ぎだもの、やはり気になる。お参りにきて、もやもやしたヘンな気分で帰りたくはない。まあ、結果的にそうなってしまったけど。

この話を家族にしたところ、父と母がケタケタと笑い出した。なんでそんなにウケているのかと尋ねると、昔、二人で某神社にお参りに行ってそれぞれおみくじを引くと、母のおみくじの引き出しが空っぽで、何も入っていなかったことがあったのだそうだ。今回の私と同じである。「それでね、もやもやした気分になったから日を改めて引くことにして、社務所に行って100円返してもらった」のだという。今回の私と同じである。うーむ、この親にしてこの子あり。示し合わせたわけでもないのに、行動一致。変なところで親子であることを確認させられてしまった巳の日なのであった。

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